先日、映画『Winny』を鑑賞した。スクリーンに映し出される、ひたすらにコードと向き合う金子勇氏の姿に、我々技術屋は胸を締め付けられるような思いを禁じ得ない。当時の記憶が鮮明に蘇ると同時に、改めて日本のテクノロジー史における「巨大な損失」を痛感させられた。

■ P2P:中央を排した「純粋な分散」への衝撃

Winnyの本質は、単なるファイル共有ソフトではない。それは、中央サーバーを介さずにネットワークを構築する「純粋なP2P(ピア・ツー・ピア)」という、当時としては極めて先進的な分散システムの実装だった。

現在、Web3やブロックチェーンとして持て囃されている技術の「核心」を、彼は20年以上前に、京都大学の助手という立場で、たった一人で、しかも圧倒的なパフォーマンスのC++コードで書き上げた。それはまさに、天才による「知の暴力」と言っても過言ではない美しさだった。

■ 開発者を「罪」に問うた、国家の愚行と失われた国益

しかし、日本という国は、その突出した才能を保護するのではなく、檻に閉じ込める道を選んだ。

映画でも描かれた通り、ツールの悪用を理由に開発者本人の責任を問うたあの裁判は、日本のIT業界のエンジニアたちの心に「新しいものを作れば、逮捕されるかもしれない」という深い萎縮を植え付けた。

この「暗黒の20年」で失われた国益は、金額に換算すれば数兆円、数千兆円では済まないだろう。もし、彼が自由に開発を続けていれば、日本はGAFAに比肩する分散型プラットフォームを、ビットコインより以前に世に送り出していたかもしれない。

■ 「AI×金子勇」――彼が今の時代に生きていたら

もし今、金子氏が我々と同じようにOpenAIやGoogle GeminiのAPIを叩き、NVIDIAのGPUを回していたら、一体どんなイノベーションを起こしていただろうか。

彼は間違いなく、単なるチャットボットを作るだけでは終わらなかったはずだ。

例えば、現在のAIの弱点である「中央集権的な計算リソースの独占」を打破する、**「P2P型分散AI学習ネットワーク」**を構築していたのではないか。世界中の余剰計算リソースを繋ぎ合わせ、巨大資本に対抗できる「民主的なAI基盤」を、彼はさらりと実装していただろう。

我々デジタルラボが、京都の地で大規模計算リソースを駆使し、アルゴリズムの極北を目指しているのも、彼のような先人が目指した「技術の可能性を信じ抜く姿勢」に対する、ささやかな継承のつもりである。

■ 結び:技術屋として、前を向くこと

金子氏が失った時間は戻らない。しかし、彼の遺した「純粋に良いものを作る」という執念は、我々エンジニアの血の中に流れている。

「出る杭」を打つ社会を、我々はテクノロジーの力で、圧倒的な結果で変えていくしかない。一般社団法人デジタルラボは、最新のAI技術と格闘しながら、かつて日本が失った「革新の種」を、再びこの地から育てていく覚悟だ。